この処仕事が忙しく本来は週3日の勤務が週5日勤務しています。 体調を悪くして休んでいる人がいるので、その人の代わりに週5日勤務しています。 そんなわけで疲労もピークに達しているのでゆっくり歩いてもらいます。 八重山は花の多い所ですが少し花には早いような気もするのですがどんな花に 出会えるでしょうか。 上野原で下車して急いでトイレを済ませ止まっていたバスに飛び乗ります。 車内はほぼ満席でした。が要害山に行く人がほとんどでした。 バスは以前下りた「大堀バス停」で下車します。 |
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咲くのか心配でしたが美しい花を咲かせてくれました 毎年楽しみにしています |
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大堀でバスを降りるとき運転手さんが「降りたら右ですよ」と 親切に教えてくださいました。 嬉しいことですね。。 |
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信松尼(しんしょうに、永禄4年(1561年)- 元和2年4月16日(1616年5月31日)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性 甲斐国の戦国大名である武田信玄の五女。出家前の名は松姫(まつひめ) 7歳で当時武田家と同盟関係だった織田家の跡継ぎである織田信忠と婚約する。 信忠と会うことなく永遠の別れとなってしまった松姫は再び武蔵に戻り、そこで出家した。 以降は信松尼と名乗り、武田滅亡の際に一緒に落ち延びてきた幼少の姪姫たちを育て、生涯独身を通したといわれている Wikipediaより |
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頭部の前方に長く突き出た下唇鬚を天狗の鼻になぞらえたもの |
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先客がいますので違う場所を探します |
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殆どが観音としては珍しく怒りの形相ですが、その怒りの激しさをもって 苦悩や悪を払うとされており馬頭明王とも呼ばれることもある。 上野原の馬頭観音は穏やかなお顔をしている。 頭の上に馬の頭を冠のように載せている。 |
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います 悲しいですよね |
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筒状の花びらのように見える仏炎苞のふちが、耳たぶのように 張り出しているのでその名が付けられた |
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ここはイカリソウの群生地 |
距が突き出し錨(イカリ)のような形の花を咲かせることから |
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バスで上野原駅へ戻り高尾行きの電車に乗ります。 高尾駅で下車して駅のそばの「蕎麦屋へ寄ります。 蕎麦屋さんは込んでいましたが何とか座ることが出来ました。 途中で若い3人組の人たちが座り途中から話に花が咲きました。 演奏があるときは連絡くだされば行きますからと約束して別れました。 |
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