親子山*入門* |
毎年恒例になっている親子山入門コースの前半最後の山行きは石老山から 篠原の里に下り一泊するコースである。我々サポーターは石老山から篠原の 里へ下山して夕食を御馳走になり帰ってくる。 石老山は大きな岩があったり、段差のある登山道なので小さな子供にとっては 少々大変かもしれない。でも親子山の子供達は大丈夫。 この日、蔵王で6歳の男の子と助けようとした方が亡くなられたというニュースが あった。同じくらいの子供達と登っているのでいろいろと考えさせられ、身の引き 締まる思いがする。お二方の冥福をお祈りするばかりである。 今回も人数が多いので3班に分かれて時間をずらして登る。私はB班でリーダー はスマイルさんで22名である。 |
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いつものように相模湖病院の前で休憩。 朝が早いのでおにぎりを食べたりおやつを 食べたり食欲は旺盛である。 |
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顕鏡寺に着くと銀杏の青い実がたくさん落ちていた。 銀杏の実が落ちる頃はすごい匂いがしているがこの時期にも青くても沢山落ちている。 ここでトイレを借りることが出来る。 今から千百年余り昔のこと、当時の宮人三条貴丞卿の若君武庫郎と八条殿の姫君の子として 生まれた男の子は岩若丸と名付けられ若君は子供との再会の証として鏡を割って一片を渡し、 道志法師となって諸国行脚に出た。その後成長した岩若丸は父母と再会、岩若丸は僧となって 源海上人と号し古い石の山から寺の号を石老山といい鏡から顕鏡寺と読んだと言われている。 |
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この岩窟は「道志法師」「源海法師」が住居と志し、道志岩窟と言う。 岩窟の中に「福一満虚空蔵尊」がこ安置されており顕鏡時の寺宝と されている。岩の大きさは、高さ7m・横幅約12m・岩窟の中は 奥行約5m・横幅約5m・高さ約1m岩窟の横を通り融合見晴台へと進む 次から次へと巨岩が現れる |
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11:48 下り坂 上り坂になり稜線に 出るととても気持ちの 良い風が吹いてきて 思わず「あぁ、涼しい」 と声に出る。 子供達も「天国だねぇ」 と嬉しそう。 もう一度登り返して山頂 に到着する。 |
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石老山山頂に着くと流水麺さんのC班が食事をしている。さっそく一緒に 昼食にする。石老山はいつも大勢の人がいる。曇り空なので富士山は見えない。 出発の前に記念写真を撮ろうと言ってたらsioさん率いるA班が到着する。 一緒に記念写真におさまることが出来た。sioさんの班は相模湖で学生さん達が 大勢だったので2バスも乗れなかったそうで大分遅れたようだ。 下りはB班とC班が一緒に下山開始です。A班はこれから食事をとるので遅れて 下山します。 |
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石老山からの下りは急坂を下るので滑り落ちないように注意しながら 下ります。昨年はお母さんが滑り落ちたことがありました。 Ha君が遅れてきました。下りが苦手なようです。 |
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途中ハナイカダがあったり、タマアジサイの固い蕾があったりして 登山者の目を楽しませてくれる。だが、Ha君はどんどん遅れてしまった。 Waさんが最後尾を歩いてくれるので私はHa君の前を歩くことにする。 流水麺さんと30分ほど遅れてしまったようだ。 |
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我々サポーターは皆さんの作って下さったカレーライスを御馳走になって 帰ることになっている。親子山教室の皆さんはお泊なのだ。 お食事を作ってくださってる間に私たちは400円の生ビールを頂く。 Naさんと久しぶりにお会いしてすぐ藍ちゃんを見せに来て下さった。 とても嬉しかったです。そして「お願いします」と言って抱かせて下さる。 娘心ですねえ。 食事を頂きそこの施設の方に相模湖駅まで送って頂きました。 帰ってきてパソコンを見たら蔵王で6歳の男の子が落ちて亡くなったと 言うニュースを見て人事とは思えませんでした。同じ年頃の子供達と 山に登っているのですからいろいろと考えさせられました。 このような事故が起きないよう十分注意して山登りを続けなければと 改めて強く思いました。 |