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11:29 田浦駅 田浦駅に数人が下車。 バスも出ているらしいが 歩く事にして少し直進し、 信号を右に折れる。 まもなくトンネルをくぐり 歩道橋をわたる。 |
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11:42 この橋を渡る 5分ほど歩くと「田浦梅の里」 と書かれた橋を渡る。 しだれ梅が1本美しい花を咲か せている。 |
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11:43 階段入口 この階段が上までジグザグに 続いている。 |
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小道の両側には水仙の 花が植えられているが、 咲き終わってしまって いてチラホラと咲いて いるくらいだ 梅の花はまだ早くて 咲いているのは少なくて まだ10日ほど先のような 感じであった。 |
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上のほうからは海が見渡せる。 満開の梅ならばさぞ素晴らしい だろうと思われる。 展望台が小高い丘の上にある。 | ![]() |
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14:40 満福寺入口 手前の線路は江ノ電の線路 この階段を登ると満福寺 本堂の前には「義経腰越状 七百五十年記念」の碑が。 | ![]() |
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満福寺 義経は、数々の手柄をたて鎌倉に 凱旋しようとしていたが、鎌倉の 入口である腰越まで来ると、頼朝の 使者によって鎌倉入りを阻まれた。 義経は兄・頼朝に腰越で大江広元に 心情を綴る文を託すが、ひと月ほど 腰越に足止めを食らい、結局、鎌倉 には一歩も足を踏み入れることなく 京に帰らざるを得なかった 弁慶の手玉石 | ![]() |
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義経物語を綴った鎌倉彫の襖絵 本堂は3部屋に分かれており、 部屋を仕切るふすまには義経の 物語が描かれています。鎌倉彫の 技法を取り入れた漆画で、 『平泉への道』『腰越状』など 全部で8場面。中でも 『弁慶の立ち往生』は襖4枚を 使った超大作になっている。 『弁慶の立ち往生』 奥州・衣川での弁慶の死の場面 敵の矢が何本も何本も体に突き 刺さりながらも敵に突入していき 「我、死して不動明王とならん」 |
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静 子供との別れ 生まれる子が女児なら助け 男児なら息の根を断とうと いうことで、生まれた子は 男児であった。 安達新三郎清経という武士が 禅師の抱いていた赤子を奪い取り 由比ガ浜に向かった。 |
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「雪の逃避行、奥州へ逃れる義経主従」 鎌倉入りを拒否された主従が京へ戻り、 またここも追われるようにして逃れて いきました。 "勧進帳" の話にも出てくる山伏姿に 変装した義経が一番左に描かれている |
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「恋い慕う義経を追いかける静」 見るとても嬉しくもなし増鏡 恋しき人の影を止めねば |
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「腰越状を書く義経」 義経は大江広元にあてて手紙を 書き、広元から頼朝にとりなして もらおうと思った。 恐れながら申し上げます。私は代官の 一人に選ばれ、勅を奉じて朝敵を滅ぼし 会稽の恥辱を雪ぎました。思いもかけぬ 讒言により莫大な恩賞も黙殺され、とがと 勘気を蒙り紅涙を流しております。 讒言を確かめることもなく、鎌倉にも入れて 下さいませぬため私の心を申し述べることが 出来ませんでした。兄、頼朝殿の顔を見る こともできないのは、骨肉の情が消えて、 宿運が空しくなったためでございましょうか。 |
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静御前の舞い しづやしづ賤のおだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな 吉野山嶺の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき 義経を恋う恋歌である。 |