墓参・真間山弘法寺(ぐほうじ)・里見公園 |
いつも山歩きをしているので春のお彼岸に一人でお墓参りに行く事にしました。 お墓は「押上」にあるので比較的近いのです。市川真間駅から京成線に乗車して押上で下車して歩きます。 墓参に行く時、家の近くに枝垂桜が1本あり満開を迎えていてとても綺麗なのでさっそく写真に撮りました。 見ていると4〜5羽位【メジロ】が蜜を吸いに来ていました。 市川真間に出るにはバスで移動しなければなりません。途中川沿いに歩くのですが【沢山の鳥】がいました。 何と言う鳥だかわかりませんがカメモくらいの大きさでした。 でも川なので別の鳥なのでしょう。 23日の土曜日は天気も良いので上の子供とお花見散策に出かけました。 今年の桜はパッと咲いてしまいました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
乗れない場合は2駅歩く事になります。その時、川沿いに歩くのですが沢山の鳥がいました。 いつもは2〜3羽位なのですが、この日は沢山見る事が出来ました。 |
![]() |
![]() |
いつも見るだけでまだ行った事はありません。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
メジロ お墓参りから帰り枝垂桜の上を見上げると メジロが蜜を吸っています。 高い所で動いているので望遠にすると なかなかメジロをとらえるのが難しいです。 自転車で通りかかった人が「大変だね」と しばらく見て行かれました。 |
どこのお宅もそうでしょうが子供が大きくなるとなかなか一緒に行動することが少なくなりました。 珍しく上の子供が【里見公園】へ行ってみようかと言ってくれました。 忙しい体なのに申し訳ないなと思いながら市川真間駅で待ち合わせをして【手児奈霊堂】から【真間山弘法寺】 【里見公園】へ行く事にしました。新聞で【真間山弘法寺の伏姫桜】が満開と新聞に出ていました。 |
![]() |
![]() |
千葉県市川市真間に所在する伝説上の女性手児奈を祀る霊堂である。手児奈霊堂とも称される。 身なりはそまつだったが、とても美しい手児奈。多くの男性から結婚を求められたが、「私の心は いくつでも分けることはできます。でも、私の体は一つしかありません。もし、私が誰かのお嫁さんに なれば、ほかの人を不幸にしてしまいます。」となやみ、海に行く(当時は真間山の下は海だった)。 そのころ、日没になろうとしていた。「そうだ、あの太陽のように。」と思って海に身投げしてしまった。 という伝説から手児奈霊神堂が作られた。 時代はさかのぼり、奈良時代の天平9年(737)行基菩薩(ぎょうきぼさつ)がこの地にお立ちよりに なられた時、手児奈の悲しい話をお聞きになり、いたくその心情を哀れに思い、「求法寺」というお寺を 建て手厚く弔われました 平安時代、弘仁13年(822)に弘法大師(空海)が教えを弘められるためにおいでになられた時 求法寺の境内整備をなされ、「求法寺」を「弘法寺」と改称されました。 手児奈にまつわる歌は数多く残っていますが、最も有名なのは、山部赤人による以下だという事です |
われもみつ ひとにもつげむ かつしかの ままのてごなが おくつきどころ 吾も見つ 人にも告げむ 葛飾の 真間の手児奈が 奥津城処(奥津城処とは墓所のこと) |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
「真間の継橋」の名は万葉集に登場します。 足(あ)の音せず行かむ駒(こま)もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ 当時、この一帯は「真間の入江」と呼ばれる海岸地帯で、蘆の生い茂った砂洲がひろがっていました 真間の継橋とは下総の国府があった国府台へ向かうための橋で、砂洲を中継地点として複数の板橋を 架け渡してあったことからこの名を得たとされるそうです。 |
手児奈霊堂からすぐ近くにある【真間山弘法寺の伏姫桜】を見に行きます。 すぐそばではありますが、途中民家に美しく咲き誇っている花がありました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
【涙石】 正面石段の下から27段目にある石。石段は千個以上の石からなるが、この石だけ涙を流すかのように濡れ続けています。 江戸時代に、作事奉行の鈴木長頼が日光東照宮の造営のために使う石材を伊豆から船で運ぶ途中、市川の根本付近に さしかかった時に船が動かなくなり、積んでいた石を勝手に近くの弘法寺の石段に使用してしまったそうです。 長頼は幕府から責任を追及され石段で切腹。その時の無念の血と涙が染み込んでいるという伝承があります |
![]() |
![]() |
白っぽい枝垂桜です |
お聞きしたのですがわかりませんでした> |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
【里見公園】 里見公園は下総台地の西端、江戸川に面した台地上にあり、このあたりは国府台と呼ばれ ここに下総国府が置かれ、下総国の政治や文化の中心でした。 その後、室町時代天文7(1538)年10月、足利義明は里見義堯等を率いて国府台に陣をとり 北条氏綱軍と戦いました。しかし北条軍が勝利をおさめ義明は戦死し、房総軍は敗退しました。 永禄7(1564)年正月、里見義堯の子義弘は再度国府台城で北条軍と対戦しましたが、この合戦も 北条軍の大勝で終わり、以降この土地は北条氏の支配するところとなりました。 江戸時代に徳川家康が関東を治めると国府台城は江戸俯瞰の地であることから廃城となりました。 明治から終戦まで国府台は兵舎の立ち並ぶ軍隊の街として栄えました。 昭和34年、市川市はこの由緒ある古戦場を記念するために、一般の人々の憩いの場として里見公園を開設しました(市川市より) |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
久しぶりに子供と一緒に歩き花見が出来ました。 美しい花を見る事はとても素晴らしいと思います。 今年の桜はあっという間に花を咲かせて今週末で散ってしまいそうです。 山歩きをしている私は4月になってからヤマザクラを見る事が出来ますので 楽しみです。 |