真間山の梅と桜

2003年3月15日の市川市の真間山周辺

                   1本の木に赤と白の花が咲く珍しい梅ノ木があると新聞で知り
                   行ってみることにしました。真間山弘法寺は我が家から歩いて
                   10分ほどの所にある古いお寺です。
                   境内を入り左手に進むとなるほど赤い花と白い花をつけた梅ノ木が
                   ありました。なぜそのようになったかは定かでないそうです。
            
           1本の木に紅梅 白梅が一緒に咲いています

真間山 弘 法 寺(ままさん ぐほうじ)
             天平の昔、行基菩薩が来錫し真間の地に語り伝わるてこ手児奈の霊を供養して
              一字を建て「求法寺」と称したがその後空海(弘法大師)によってこの山上に
             七堂伽藍が造営され真間山弘法寺」と改められた。
             元慶(881年)天台宗に転じたが、建治3年(1277年)時の住職了性法印は
             若宮の富木常忍と問答の末敗れて寺を去った。常忍は日蓮の指示に従い
             六老僧の一人であった義子日頂を開基として日蓮宗の寺に改宗した。
             その後、元享3年(1323年)千葉胤貞より寺領の寄進を受け天正19年(1581年)
             には徳川家康から朱印を与えられ元禄8年(1695年)には徳川光圀が来詣している。
             江戸時代は紅葉の名所として知られ文人墨客の来遊する者多く紀行文、詩歌、
             川柳、絵画をはじめ諸書に真間山弘法寺の紅葉狩のことが記されている。

         真間山弘法寺の境内の一角には1本だけもうこんなに桜が咲いていました

手児奈霊堂(てこなれいどう)
             奈良時代のはじめ山部赤人(やまべのあかひと)が
             下総国府を訪れたおり手児奈の伝承を聞いて

              「われも見つ人にも告げむ葛飾の
                          真間の手児名(奈)が奥津城処」


               と詠ったものが万葉集に収められている。

             手児奈の物語は美人ゆえ多くの男性から求婚され人々の
             争うのを見て人の心を騒がせてはならぬと真間の入り江
             に身を沈めた悲しいお話です。