墓参・真間山弘法寺(ぐほうじ)・里見公園
2013年3月20日(水)3月23日(土)

 いつも山歩きをしているので春のお彼岸に一人でお墓参りに行く事にしました。
 お墓は「押上」にあるので比較的近いのです。市川真間駅から京成線に乗車して押上で下車して歩きます。
 墓参に行く時、家の近くに枝垂桜が1本あり満開を迎えていてとても綺麗なのでさっそく写真に撮りました。
 見ていると4〜5羽位【メジロ】が蜜を吸いに来ていました。
 市川真間に出るにはバスで移動しなければなりません。途中川沿いに歩くのですが【沢山の鳥】がいました。
 何と言う鳥だかわかりませんがカメモくらいの大きさでした。
 でも川なので別の鳥なのでしょう。
 23日の土曜日は天気も良いので上の子供とお花見散策に出かけました。
 今年の桜はパッと咲いてしまいました。

       枝垂桜
家のそばに咲く枝垂桜
家のそばに咲く枝垂桜
ユキヤナギ
市川へ出るにはバスに乗らなければなりません。田舎のバスですので近くのバス停からバスがなくて
乗れない場合は2駅歩く事になります。その時、川沿いに歩くのですが沢山の鳥がいました。
いつもは2〜3羽位なのですが、この日は沢山見る事が出来ました。
東京スカイツリー
枝垂桜
墓参を済ませて押上駅に向かいますが東京スカイツリーが目の前に見えます。
いつも見るだけでまだ行った事はありません。
家のそばに咲く枝垂桜
家のそばに咲く枝垂桜
メジロ
メジロ
メジロ

 お墓参りから帰り枝垂桜の上を見上げると
 メジロが蜜を吸っています。
 高い所で動いているので望遠にすると
 なかなかメジロをとらえるのが難しいです。
 自転車で通りかかった人が「大変だね」と
 しばらく見て行かれました。
どこのお宅もそうでしょうが子供が大きくなるとなかなか一緒に行動することが少なくなりました。
珍しく上の子供が【里見公園】へ行ってみようかと言ってくれました。
忙しい体なのに申し訳ないなと思いながら市川真間駅で待ち合わせをして【手児奈霊堂】から【真間山弘法寺】
【里見公園】
へ行く事にしました。新聞で【真間山弘法寺の伏姫桜】が満開と新聞に出ていました。
真間川の桜
真間川の桜
       手児奈霊堂
千葉県市川市真間に所在する伝説上の女性手児奈を祀る霊堂である。手児奈霊堂とも称される。
身なりはそまつだったが、とても美しい手児奈。多くの男性から結婚を求められたが、「私の心は
いくつでも分けることはできます。でも、私の体は一つしかありません。もし、私が誰かのお嫁さんに
なれば、ほかの人を不幸にしてしまいます。」となやみ、海に行く(当時は真間山の下は海だった)。
そのころ、日没になろうとしていた。「そうだ、あの太陽のように。」と思って海に身投げしてしまった。
という伝説から手児奈霊神堂が作られた。
時代はさかのぼり、奈良時代の天平9年(737)行基菩薩(ぎょうきぼさつ)がこの地にお立ちよりに
なられた時、手児奈の悲しい話をお聞きになり、いたくその心情を哀れに思い、「求法寺」というお寺を
建て手厚く弔われました
平安時代、弘仁13年(822)に弘法大師(空海)が教えを弘められるためにおいでになられた時
求法寺の境内整備をなされ、「求法寺」を「弘法寺」と改称されました。
手児奈にまつわる歌は数多く残っていますが、最も有名なのは、山部赤人による以下だという事です
われもみつ  ひとにもつげむ  かつしかの   ままのてごなが   おくつきどころ
吾も見つ 人にも告げむ 葛飾の 真間の手児奈が 奥津城処(奥津城処とは墓所のこと)
手児名霊堂
桂の木も芽吹き始めました
立札
緑っぽい桜
枝垂桜
真間の継橋
真間の継橋
真間の継橋
「真間の継橋」の名は万葉集に登場します。

足(あ)の音せず行かむ駒(こま)もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ

当時、この一帯は「真間の入江」と呼ばれる海岸地帯で、蘆の生い茂った砂洲がひろがっていました
真間の継橋とは下総の国府があった国府台へ向かうための橋で、砂洲を中継地点として複数の板橋を
架け渡してあったことからこの名を得たとされるそうです。
手児奈霊堂からすぐ近くにある【真間山弘法寺の伏姫桜】を見に行きます。
すぐそばではありますが、途中民家に美しく咲き誇っている花がありました。
       真間山弘法寺(ぐほうじ)
            【 交 通 】 千葉県市川市真間4−9−1
                   交通:JR市川駅徒歩16分
                       京成市川真間駅徒歩11分
                   電話 047(371)2242
                   FAX  047(375)3630
真間山弘法寺の入り口 この石段の途中に【涙石】があります
真間山弘法寺
【涙石】
 正面石段の下から27段目にある石。石段は千個以上の石からなるが、この石だけ涙を流すかのように濡れ続けています。
 江戸時代に、作事奉行の鈴木長頼が日光東照宮の造営のために使う石材を伊豆から船で運ぶ途中、市川の根本付近に
 さしかかった時に船が動かなくなり、積んでいた石を勝手に近くの弘法寺の石段に使用してしまったそうです。
 長頼は幕府から責任を追及され石段で切腹。その時の無念の血と涙が染み込んでいるという伝承があります
樹齢約400年の伏姫桜
白っぽい枝垂桜です
真間山弘法寺の方に以前【伏姫桜】の由来を
お聞きしたのですがわかりませんでした>
白い清楚な花ですがなんという花なのでしょう?
白い花の木です
とても美しいピンクの花桃なのでしょう
       里見公園への途中にて
ずいぶん何度も何度も毛づくろいをしていました
シジュウカラでしょうか?
高い所なのでなかなか大変でした
日本タンポポ
つくし
里見公園への入り口です 行きは屋台がほんの少し出ていました
       里見公園
【里見公園】
里見公園は下総台地の西端、江戸川に面した台地上にあり、このあたりは国府台と呼ばれ
ここに下総国府が置かれ、下総国の政治や文化の中心でした。
その後、室町時代天文7(1538)年10月、足利義明は里見義堯等を率いて国府台に陣をとり
北条氏綱軍と戦いました。しかし北条軍が勝利をおさめ義明は戦死し、房総軍は敗退しました。
永禄7(1564)年正月、里見義堯の子義弘は再度国府台城で北条軍と対戦しましたが、この合戦も
北条軍の大勝で終わり、以降この土地は北条氏の支配するところとなりました。
江戸時代に徳川家康が関東を治めると国府台城は江戸俯瞰の地であることから廃城となりました。
明治から終戦まで国府台は兵舎の立ち並ぶ軍隊の街として栄えました。
昭和34年、市川市はこの由緒ある古戦場を記念するために、一般の人々の憩いの場として里見公園を開設しました(市川市より)
里見公園へ入ります 唐揚と缶ビールを買って入ります
中央に噴水があります 周りはバラが植えられています
里見公園
噴水広場 ドラマの撮影で使われたようです
里見公園
石垣 市川城とか国府台城とか呼ばれていた城があったようです
北原白秋の旧居紫烟草舎 ここで作品の創作をされた
説明
東京スカイツリー
展望 富士山をはじめ丹沢の山々を望む事が出来ます
天気が良ければ高尾山や南アルプスまで見れるようです
もっと奥に進むとお花見広場があり桜があります
この広場では火を使う事が出来るようです
河津桜 もう葉が出ていて遅いようです
河津桜
桜並木を通りかえります
ソメイヨシノ
千葉商科大学の桜並木を通って帰ります
杏か李の花でしょうね
花桃
久しぶりに子供と一緒に歩き花見が出来ました。
美しい花を見る事はとても素晴らしいと思います。
今年の桜はあっという間に花を咲かせて今週末で散ってしまいそうです。
山歩きをしている私は4月になってからヤマザクラを見る事が出来ますので
楽しみです。

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