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11:28 ロープウエイ駅より 途中少し渋滞があったが順調にバスは 走りロープウエイ乗り場に到着した。 今日の天気はコロコロと変わり喜ばせ たり、悲しませたりで忙しい天気である。 乗り場に着くと雨で雨具を着ける事に する。子供達は嫌がるけれど山のことは 何にもわかってないので強制的につける ように指示をする。外に出ると強風の為 傘はさせない。 紅葉はまだ少し早いのかもしれないが 山頂のほうは赤く染まっている。 これで晴れていれば紅葉ももっと美しく 眺められたことだろう。 少し上の方まで雨の中登ってみるが これ以上登る時間もないのでロープウエイ 乗り場へと急ぐ。 |
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11:41 茶臼岳を望む パンフレットには茶臼岳とあったので 茶臼岳に登るのだと思っていたら 全然登る気配はない。残念だが昨年 登っているのでまぁ、いいかと諦める。 草紅葉が美しい。 |
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11:56 ロープウエイの中から 紅葉の山々を眺めることが出来 今年初めての紅葉なので楽しい。 |
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12:09 ロープウエイの駐車場より ロープウエイで下ってくると雨もあがり 少し散策する。山頂付近は紅葉も美しい けれどこの辺りはまだまだ先の様に思う |
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12:43 殺生石への木道にて 早々にバスに乗り殺生石へとすすむ。 バスを下りると硫黄の匂いが漂っている。 |
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12:42 お地蔵様 木道を進むと沢山のお地蔵様が 並んでいる。 |
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12:44 盲蛇石 昔、五左ェ門という湯守が長く厳しい 冬を越す為に山に薪を採りに行った。 その帰り道この殺生河原で一休みして いると、2mを越える大蛇に出会った。 大蛇の目は白く濁り盲の蛇だった。 かわいそうに思い蛇の為にススキと小枝で 小屋を作ってあげたそうな。 次に年、蛇のことを忘れず湯殿開きの日に 蛇を探したが姿が何処にもなく、かわりに キラキラと輝く湯の花があった。盲蛇に 対する暖かい気持ちが神に通じ、湯の花の 作り方を教えてくれたそうな。 その後、湯の花の作り方は村中に広まり 村人は盲蛇に対する感謝の気持ちを忘れず 蛇の首に似たこの石を「盲蛇石」と名付け 大切にしたそうです。 |
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殺生石 殺生石は昭和28年1月12日史跡に指定された。 この由来の概略は、昔中国や印度で美しい 女性に化けて世を乱し悪行を重ねている狐が 今から800年ほど前の鳥羽天皇の御世に日本に 渡来した。 この妖狐は「玉藻の前」と名乗って朝廷に仕え 日本の国を亡ぼそうとしたが、時の陰陽師阿部 泰成にその正体を見破られ那須野ヶ原に逃れて きた。その後も妖狐は領民や旅人に危害を加え たので朝廷では三浦介、上総介の両名に命じ遂に これを退治してしまった。 ところが妖狐は毒石となり毒気を放って人畜に 害を与えたので「殺生石」と呼んで近寄ることを 禁じたが、会津示現寺の開祖源翁和尚が石にこもる 妖狐のうらみを封じたのでようやく毒気も少なく なったと語り伝えられている。 芭蕉は元禄二年四月十八日「奥の細道」紀行の途中に この殺生石を訪れ 石の香や 夏草あかく 露あつし と詠んでいる。 |
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湯の花畑 那須温泉の人々は、徳川幕府の頃から 年貢米の代りに湯の花を納めていた。 「湯の花」とは「みょうばん」の事です。 噴気のでるところに赤土をしめかため雨水が しみこまないようにして茅葺屋根を作る。 半年たつときれいに「みょうばん」が結晶し、 花が咲いたようになるので湯の花畑と呼び、 春、秋年2回採取した。 「みようばん」は皮膚病の薬や漬物の発色剤と して使われ現在は湯の花と呼ばれ入浴剤として 使われているそうです。 |
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お昼の特注弁当 ツアーに付いてるお弁当ではなく 500円アップしたのを注文した。 食の細い子供達も珍しく全部食べる ことが出来たようだ。 |
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足湯 最後は足湯です。 「湯っ歩の里」といって回遊型の温泉に なっていて、歩きながら足つぼを刺激 するように石がちりばめてある。 湯煙を漂わせ、温泉を間欠泉として 吹き出します。 日本最大級の足湯となっている。 子供の携帯で撮ったもの |