四国の松山
2013年2月9日(土)
 

 今回は姉の一周忌法要の為私の故郷である今治に行き、石鎚山登山をして翌日は観光
 することにしました。まだ四国へ行った事がないと言う山仲間のAidaさんと一緒です。
 昨日は石鎚山に登り(途中で雪がひどくなってきたという事で)山頂は踏めませんでした。
 朝、今治駅で待ち合わせて「松山」へ行く事にしました。
 特急電車で今治から松山までノンストップで40分です。



「交  通」  今治駅→松山駅

松山城
松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の1人
加藤嘉明が築いた四国最大のお城です。
門櫓・塀を多数備え、狭間や石落とし、高石垣などを巧みに配し、攻守の機能に優れた日本一の連立式天守を
構えた平山城と言われております。
松山城は、日本で12か所しか残っていない「現存12天守」のうちのひとつ、江戸時代以前に建造された天守を
有する城郭の一つです。平成18年に「日本100名城」、平成19年には道後温泉とともに「美しい日本の歴史的風土100選」
に選定されました。また、日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では
松山城と彦根城しか存在が確認されていない、韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸にかけてあり
堀之内を含む城山公園全体が国の史跡で、「日本さくら名所100選(平成元年)」「日本の歴史公園100選(平成18年)」
の指定も受けています。「松山城総合案内」より
11:30 松山駅
11:33 電車 この電車に乗り松山城へ向かいます
  
11:38 電車内
11:46 ぼっちゃん列車 これに乗ってみたかったなぁ
12:01 リフトに乗って5〜6分 右の方にはお城が見えています
ロープウェイは工事の為運休しています
12:09 松山城の入り口
12:12 先ずはお城へ入る門です
12:13 乾門・乾門東続櫓
この門、櫓は慶長年間正木城から移建されたと言われ乾一ノ門と
共に松山城の搦手(裏)の門の中で、最も重要な構えとなっています
12:21 重要文化財 筒井門と隠門の配置図
12:22 隠門を入る
隠門(重要文化財)・隠門続櫓(重要文化財)
隠門・ 隠門続櫓
この門は筒井門の奥の石垣の陰に隠された、埋門(うずみもん)形式の櫓門で、
戸無門から筒井門に迫る敵の背後を急襲する構えとなっています。脇戸を持たず
扉の横板張りの中に潜戸(くぐりど)を仕組むなど規模は小さいですが、
豪放な構えで、続櫓外部の下見板張りや格子窓形式の突揚げ戸などとともに、
築城当時の面影を見ることができます。
重要文化財
21棟の重要文化財
大天守、三の門南櫓、二の門南櫓、一の門南櫓、乾櫓、野原櫓、仕切門、三の門、二の門、
一の門、紫竹門、隠門、隠門続櫓、戸無門、仕切門内塀、三の門東塀、筋鉄門東塀、
二の門東塀、一の門東塀、紫竹門東塀、紫竹門西塀
太鼓門・太鼓櫓
太鼓門・同東続櫓・太鼓櫓・巽櫓は1つの防御単位を構成し、高さ
6.9mの石垣の上に一線に構築され、筒井門から本丸南腰郭に
侵入してくる敵に備えています
大天守(重要文化財)・小天守
大天守は三重三階地下一階の層塔型天守で、黒船来航の翌年
落成した江戸時代最後の完全な城郭建築です
井戸
南北2つの峰を埋め立てて本丸の敷地を作った際、谷底にあった
泉を井戸として残したといい伝えられています。井戸の直径2m
深さ44.2mで当時の技術では通常掘ることができない深さがあります
紅梅 ヤエカンコウ(八重寒紅)極早咲き
白梅 トウジ 中輪の一重咲き白色の花で
本来の野生種に近い野梅性です。極早咲き
広場には沢山の梅の木が植えられてとても良い香りが漂っていました。
大天守

「現存12天守」の中で唯一築城主として瓦には葵の御紋が
付されています。
大天守、小天守、隅櫓を廊下で互いに結び、武備に徹した
この天守建造物群は、わが国の代表的な連立式城郭と
いわれています。
大天守の全高は本壇から20m(しゃちほこの高さを入れると21.3m)
本壇は本丸から8.3mの高さがあり、本丸の標高は約132mである
ことから、大天守の標高は約161mあることになります。これは
「現存12天守」の平山城の中では最も高い城郭です。
山の高さは、同じ平山城である姫路城の約3倍の高さです。
12:34 一ノ門説明
12:35 一ノ門を入ります
12:35 二ノ門
12:35 二ノ門を入ります
12:36 ソメイヨシノ 梅と間違えるような枝振り
12:36 配置図
12:37 三ノ門
12:37 三ノ門を入ります
12:38 天神櫓
12:38 天神櫓
12:40 筋金門東塀
12:40 筋金門東塀
筋鉄門 筋鉄門は櫓門で、天守玄関がある中庭を防衛する重要な門です。この門の櫓は小天守と大天守の通路になっていて
三ノ門から侵入する敵の正面を射撃する構えとなっています。
12:41 小天守閣
12:41 小天守閣
12:41 本壇 配置図
12:42 天守閣入口
鉄赤漆塗連山桶側同具足
久松松平氏初代松平定行着用と
伝えられる実戦向き鎧
角頭巾形鳥尾飾兜(みみずきんおかざりかぶと)
漆塗佛胴六間草摺素懸威鎧
(うるしぬりぶつどうろっけんくさずりすがけよろいおどし)
加藤義明着用と伝えられる。
加藤 嘉明(かとう よしあき)
安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名
伊予松山藩主、のち陸奥会津藩初代藩主となる。
近江水口藩加藤家初代父は徳川氏(松平氏)に仕えた
譜代家臣の加藤教明(岸教明)
賤ヶ岳の七本槍・七将の一人。通称は孫六。嘉明は晩年の
名乗りで、はじめ繁勝を名乗る。
1600年〜1634年の歴史
加藤義明沙汰状
築城中の慶長9年(1604年)8月29日加藤義明が
家臣束本氏に宛てた丸・平・巴・唐草など9,080枚の瓦の
注文と同年12月25日、小谷の蔵に入れた瓦1,323枚の請取書
12:50 十間廊下
12:52 槍
鉄板黒漆塗紺糸素懸威最上胴丸
(てつざねくろうるしぬりこんいとすがけもがみどうまる)
3代藩主松平定長和着用の鎧と伝えられる
鉄切付五枚胴紺糸威具足
てつきりつけごまいどうこんおどしぐそく)
4代藩主松平定直着用の鎧
松平家歴代藩主の長刀
能管 松山藩主松平(久松)家に伝わっていたもの
葵紋入塗金薬罐
松山藩主松平(久松)家に伝わっていたもの
伊予四季図屏風
松山藩絵師遠藤広実(1874〜1862)画
1面は初春・2面は夏の田植・3面は秋の三坂・4面は面河と雪に石鎚
天守閣からの本丸広場
天守閣
葵紋
天守閣からの展望
石鎚山
昨日登れなかった石鎚山がうっすらと見えています
雪が多いように思われます
13:21 よしあきくん
松山城築城400年祭を盛大に祝福すべく誕生した
松山城のマスコットキャラクターです。
名前の「よしあきくん」は松山城の初代城主
加藤嘉明(よしあき)にちなんで名付けられました
松山城
日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や
「現存12天守」の城郭では松山城と彦根城しか存在が
確認されていない、韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が
二之丸から本丸にかけてあり、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡
松山城を後にして次に向かうのは「坂の上の雲」のミュージアムです。
歩いて向かう事にしました。
13:47 ツバキカンザクラ(椿寒桜)バラ科サクラ属
シナミザクラとカンザクラの雑種 濃紅色
水仙
14:04 松山一の繁華街 大街道
大街道の商店街
少し遅くなりましたが食事をするのでこの繁華街の中を探しました。
裏通りに行ってみたりするのですがアルコールを飲めるところが
見当たりません。居酒屋さんはほとんどが5時から営業です。
仕方がないのでお好み焼き屋さんへ入ることにしました。
なにも松山まで来てお好み屋さんとは。レストランとかはありますが。
これが失敗でした。焼き肉を頂いたのですが硬くて食いちぎれないのです。
15:48 坂の上の雲ミュージアム入口です
坂の上の雲の書き出し
15:48 坂の上の雲ミュージアム入口です
坂の上の雲の書き出し
四国藩
松山県庁
「坂の上の雲」のミュージアムを出て「道後温泉」へ足を向けます。
入浴はしませんでした。
道後温泉の前は人が沢山でした。勿論人力車も多かったです。
17:20 電車に揺られて
17:21 からくり時計
17:24 道後温泉
17:28 道後温泉
17:36 電車に揺られて松山駅に向かいます
18:14 松山駅

 松山駅から特急に乗り今治へ戻ります。
 今治はバリーさんでおなじみの焼き鳥が有名という事で焼き鳥屋さんへ行きました。
 1軒目は待ってる人がいたのできっと美味しい焼き鳥屋さんなのでしょう。
 惜しい気もしましたが他を探すことにしました。そこそこ入っている店があったので
 その店で頂くことにしました。その日の朝の物を仕入れると店主の話で美味しかったです。
 明日は私は姉の法要があるのでAidaさん一人で観光して東京へ戻ります。
 私はまだ予定を決めていませんので妹と相談して決めます。



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